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野球狂のコラム

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NO・8 負けじ魂とは、なんぞや。!
人生七転び八起きと人は云うけれど、この男には負けた。
1977年(昭和52年)この年の入部者の中に彼はいた。
どうしても野球がしたい、その一念で兄が所属しているこのチームに入部してきた。
後にボーイズリーグで、隻腕の大投手と言われた、大石建龍君である。
彼は、指導者達の危惧もなんのその、片手で捕り、片手で打ち、片手で
ボールを投げた。その俊敏さにはチームメイトも、 なんやこいつ。!・・・・・・。
1年後には外野手として、ポジションを確保。しかしながら、中学部のレベルは高い。
いかに俊敏さを増したと言えども、他の野手に比べ、
やはりスローイングはワンテンポ遅れる。
そこで、私は彼に どや!『龍』ピッチャーやれへんか?
彼は二つ返事で、『絶対』やります。多分、自分自身でも投手をやりたかったと思う。
そんな感じの明るい返事が、かえって来た。
しかしながら、『やる気』と『根性』だけでは、ピッチャーにはなれないと
今更ながらに、思い知らされた。
正に天性のノーコン病。!
『龍』お前なー ストライクをとるのん嫌なんか。?
ピッチャーはな、ストライクを投げてなんぼや。『やめてまえー!』
こんなセリフの繰り返しが1年以上続いた。又、連日の投球練習で秋口には
2〜3mも投げられない状態が続いたこともあった。
そして、3年生の夏 優勝候補筆頭の『大淀』チームとの対戦で、彼は勝った。
1−0での最終回、なんと相手チームの先頭バッターがセフティーバンドを敢行した。
それまで、彼のハンデを知るどのチームも、送りバンドやスクイズさえしなかったのに。
試合後、『龍』よ お前遂に少年野球に勝ったなー。よかったなー。1−0やんけ。
3歳の時実家の仕事場での事故以来の負けじ魂が、実を結んだ、瞬間、、、、、。
翌年、難関の天王寺高校に合格、迷わず野球部へ、3年の夏の大会には
今はなき、日生球場のライトフェンス直撃の2塁打を放ち喝采を浴びる。
一浪の後、中央大学法学部に合格 卒業後司法試験をめざす。

1年目の年賀状 やっぱり難しいですわ。
2・3年目 来年は決めます。
5年目 今年こそ大丈夫です。
10年目 ここまで来たら、なにが何でも。
16年目 合格証書を持ってきた。

東京での2年間修行期間をへて、現在北区にて弁護士事務所を開設。
新進気鋭の弁護士として活躍中。
又週末には大阪弁護士会野球部員として、白球を追い続ける
《野球少年》。 大石(金) 建龍 
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