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野球狂のコラム

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NO・5 いけ、いけ、での限界。
もう20年程前のお話です。
少年野球の指導者として、最大の危機が、、、、。
指導者として、10年ぐらいやってきた頃、それは正に突然やってきた。
チームの成績もそこそこ、何人かのOB選手も甲子園出場を果たし、チョッといい気になっていた。、若さもあった、驕りもあった、油断もあった。
その年の7月中旬、もう梅雨明けと発表される、日曜日のグランドで、それは起こった。


雨上がりのグランドは、まさに蒸し風呂状態。
選手達は、来週から始まる夏の大会目指して、練習に励んでいた、しかし1年生のA君だけが、やる気のない動きに見えていた、私は、あせっていた、今年こそ、何が何でも全国大会出場と、意気込んでいたからだ。

3年生達は、最後の大会と、精一杯声をだし、グランドを走り回っている。
フリーバッティングが始まっても、A君の態度は変わらなかった。
《あのボケ、やる気あるんか?》私は、腹の中で、口汚くののしっていた。
そして、横の選手にAをバックさせろ。!
ベンチに帰ってきた、A君に向かって出た言葉が、腕立て伏せ30回のペナルティであった。
腕立て伏せをやり終えた、A君は、又外野のポジションに戻っていった。そして、20分後、同期生のBが《A》しんどいと言ってます、とベンチに報告に来た。
分かった、ベンチ裏の木陰に休ませとけ。
午前中の練習が終わり、A君の様子を見に行った、『おい。大丈夫か?』
『ハイ。大丈夫です。』低い声で答えた。何となく彼の首筋に手を当てた、瞬間《あれ》何かがおかしい。汗は、多くかいているにもかかわらず、手から伝わる体温は、異常に冷たかった。

今までの、自分自身の感覚では、日射病ぐらい、風通しの良い木陰で、寝かしていれば、ほっといても直る。そのような考えであった。

ちょうど、隣りにいたマネジャーの山田さんがどうしましょと聞いた。
マア、大丈夫やと思うけどなー。と言いながら(フト)1ヶ月前の新聞記事を思い出した。
それは、小学生の少年野球チームで、練習中で倒れ、そのまま亡くなったと云う記事であった。

日射病ぐらいで、救急車を呼んだら笑われるかもしらんが、取りあえず電話をしてくれますか?と山田さんに頼んだ。

15分後に着いた、病院では、うちでは、無理や。紹介するので、救急センターに行ってと。
え。! たかが、日射病やろ?なんで。? これが自分自身の実感であった。
センターの医師に呼ばれた。
私に、血圧の低下と、血管が縮んで針が入らないとの当直医師の言葉にやっと 事の重大さに体が、震えた。
『先生、なんとかしていなー 俺の選手やねん』
あの時ほど真剣に頼みごとをしたのは、生まれて初めてだった。

先生と看護婦さんのの懸命の治療で、1時間後血圧も上がりだし、もう大丈夫やと思うとの先生の言葉にどれだけ救われたか。
体中の力が抜けるとは、こんなんかいなーと思った、ちょうどその時お父さんと、お母さんが、駆けつけて来てくれた。
(どうもお世話になりました。) いえいえもう大丈夫ですので、ご安心下さい。と答えたその後の母親の言葉に唖然とした、実は、塾のキャンプで昨日は、全然寝ませんねん。
オイ、オイ やめていなー。
そして、次に出た言葉に、またまた唖然!
うちの子、小学生のとき心臓検査で引っかかてますねん。

《何。!日射病は治っても心臓止まったら終わりやないか。》

そんならそうと、入会のときに云うといてな。
用心のため、今日1日は、入院してもらいますとの医師の言葉を後にして、帰宅した、その晩は、やっぱり一睡も出来なかった。
(最悪 監督も、商売もやめやなあかんやろな。)

その日を境に 《口で云うより手の方が早い》と云う指導方法が終わった。
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